読売新聞の報道で、3月2日(金)辺野古区が名護市長に対し「テント村」の撤去を求め区民763人分の署名を提出したことを知った。

NHKニュースによると、稲嶺市長は

「弁護士と相談しながら対応している。できるだけ争いを避け、話し合いで解決できる方向を模索したい」

と話している。「テント村」で活動する市民グループの代表は

「政府が県民を無視して移設を進めており、座り込みをやめる状況にない。市から連絡があれば話し合いに応じたい」

と話しているようだ。

辺野古区の大城康昌区長は

「活動は否定しないが、憩いの場を取り戻したい。テント村の人たちと市長は、県外・国外移設という目標が同じなのだから助言などをお願いしたい」

という。

辺野古区の表向きの理由は「自由に散策できる環境を取り戻したい」というものらしい。

区民763人分の署名というのは、これまで名護市長が前市長ら「誘致派」の動向を「一部の人」と切り捨ててきたように無視できる数ではない。元より、名護市長選挙ですら圧倒的勝利といえる票差ではなく、市議会が与党多数になったとはいえ、名護市内の「誘致派」が消尽したわけではない状況で「一部の人」と発言してきたことに名護市長の政治的対応の危うさが内包している。

レイプ発言で更迭された田中前沖縄防衛局長は昨年11月に「地元中の地元は、自分たちの条件を認めれば容認すると決議している」と講演で発言(2011.11.17琉球新報)しており、日本政府が現名護市長を完全に無視しながら辺野古移設を既定路線として捨て去らないのは、辺野古区が条件付きで容認し続けているからということもある。

昨年10月26日には、前市長や辺野古区長らも参加し「北部振興推進」を名目に(実質辺野古移設推進の)「名護市民決起集会」を市民会館で開催している。キャパシティ1,075名の大ホールで主催者発表2,792名の参加である。(⇒やなリンク先だが記録のために貼っておく/チャンネル桜 ※前名護市長のダダ漏れする本音は聴いておくべき現実。)

その大会で、大城康昌・辺野古区長、辺野古在住の暴れん坊である古波蔵廣・名護漁協組合長らも壇上に上り、滔々と基地と経済振興のリンクを語り移設推進を訴えている。

このような動向と、名護市長に対し「テント村」の撤去を求める働きかけが無縁なはずはない。辺野古区の動きが政治的であるとしても、「テント村」の存在も政治的であり、政治的であるという理由で辺野古区の行動を矮小化したり無視したりできるものではない。問題は別の所にある。

論点を整理する必要がある。前名護市長の10.26大会時の発言にもあるが「辺野古を地元」と強調するレトリックは、田中前沖縄防衛局長の講演でも展開されている。確かに造られ直接被害が甚大な利害関係人は、辺野古区住民だろう。辺野古区内の自治や意思決定システムがどのようになっているのかは知らないが、その返野古区は利害の利を条件に受け入れることを考える。しかし彼ら彼女らは、害に関する責任など持てるわけはないし持つつもりも無い。法定で責任を有する地方公共団体でもない辺野古区は徹頭徹尾自らの利益のみを考える「無責任」でしかない。しかし大きな利害関係者である辺野古区に拒否されたら計画は頓挫するに近い大打撃を受ける。

基地を造りたい行政府及び「誘致派」(どうもこの言葉を前市長らは嫌いらしいから「条件付き容認派」と言ってもいい)は、そのことをよくわかっており。辺野古区も同様である。

現名護市長の持つ権限は名護市においては絶大だが、しかし残す任期2年でこの問題が解決していなければ次の市長選挙で選ばれる市長によって名護市の意思決定はがらりと変えられてしまう可能性もある。(政府が諦めない限り、現状ではこの悪循環は続く。であるから私は名護市という地域にとってコンティニュイティは大切だとおもう。かつて名護市が容認していた際の「七条件」をことごとく無視して現在の計画に変更したのは政府であり、であるにも関わらず造ることにのみ固執し条件をかなぐり捨て政府と合意した前市長が落選し現在がある。名護市が賛成から手の平を返して反対になったのではなく、政府が沖縄/名護市の条件を遺棄したのが先である。であるから政治的イデオロギーからは是認しうる県知事が「県外」を言わざるえない現在がある。この状況で改めて容認に転じたら、沖縄に自治など成立しない)

「テント村」撤去要請の際の辺野古区長の「活動は否定しないが、憩いの場を取り戻したい。テント村の人たちと市長は、県外・国外移設という目標が同じなのだから助言などをお願いしたい」というのは、市長に対する政治的揺さぶり以外の何ものでもない。

ここは避けて通れない道のりなんだろう。

名護市長や「テント村」を運営する市民団体のリーダーのいう「話し合い」は、関係者だけの密室にならずに開かれた討議の場になりうる必要がある。

偏狭な地域住民至上主義に陥らず、しかもなお地域という契機を喪失した市民一般に回収されない、有意義な「話し合い」の場はどのようにしたらつくれるのか。

「憩いの場を取り戻したい」という辺野古区長の言葉を、政治的にためにする主張だとのみ捉えてはいけない。辺野古区の自治に手を突っ込む気はないが、「条件付き容認」という意思決定がもたらす未来は「憩いの場を消失させる」ことだけははっきりしている。辺野古に「憩いの場」をつくりだし守るためにも「話し合い」は重要。偏狭で排他的な「憩いの場」などない。

「話し合い」の場をつくりだす関係者みんなの努力に、自治力が試されている。

笑っている政府官僚に名護市の底力をみせるべき。この件に関しては「条件付き容認派」「反対派」双方に有利な折り合いの出口は見つけ出せる。そう期待したい。

blog comments powered by Disqus
  1. aosakananagonaguからリブログしました
  2. nagonaguの投稿です